偏差値教育の功罪
見直されつつありますが、10年ほど前までは「偏差値教育」が、子供たちを数値化する判断基準になってしまっているという批判がありました。
そして、偏差値教育の反省から、「ゆとり教育」なるものが導入されたのですが、結局このゆとり教育は失敗だったという烙印が押されつつあるようです。
偏差値教育と揶揄された、偏差値を使った高校進学指導や、生徒たちの成績把握は結局子供たちの成績を判断するための「数値化」が目的でした。
「平均点」、「偏差値」といった数値基準があることで、テストの成績で人が評価されるときにも、そこには明確な評価基準が存在していて、また、誰もがその評価基準を理解し共有できました。いわば、透明性が高かったのです。
また「偏差値」は勉強の全然出来ない子供に対しては偏差値が現実から少し目を逸らす役割を担っていた(0点でも偏差値は「30」とは数字がつきます。)と思いますし、勉強の出来る成績の良い子供に関しては、決して「100」まで到達しない偏差値がモチベーションの維持のお手伝いをしていたともいえるでしょう。
しかし、「偏差値」という数値基準を採用しない場合には、先生が生徒の人間性を総体的に判断して点数を付けるような教育制度の下では、むしろ先生に怯えて縮こまってしまう生徒が増えるだろうことが予想されます。
また子供たちを評価しなければならない先生の立場でも、明確な判断基準がないために、的確な高校進学進路指導を行うことができないという立場に追い込まれてしまいます。
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